死後世界とは今世を終えた魂が経験する次の世界

死後世界の【転生を前提とした考え方】仏教では、一切の迷いが無くなる境地に達した魂は浄土に行き、そうでない魂は生前の行いにより六道と呼ばれる6種類の世界にそれぞれ行くとされる。死後世界の六道のうち、人間道と畜生道に転生した場合は、未来に再び、この世界に生まれてくることが想定されている。死後世界を日蓮の教えでは、(転生があるにしても)、今の自分(小我)に執着するあまり、いたずらに死を恐れ、死後の世界ばかりを意識し期待するより、むしろ自分の小我を越えた正しい事(大我)のために今の自分の生命を精一杯活かし切ることで最高の幸福が得られるのだ、とされている(『生死一大事血脈抄』)。死後世界【スピリチュアリズム】人間の魂は人間にだけ生まれ変わっており、動物には生まれ変わることは無い、とされる。肉体の死後、魂は、一旦霊的な世界に戻り、数年〜数百年後に、またこの世の肉体に宿るとされる。魂は転生を繰り返し、人間の肉体を通して苦しみ・喜びを学び霊的な階層世界の上層へと登ってゆくとされる。

死後の世界は"行ったきり"

死後の世界は"行ったきり"「今の人生→死後の世界」という一方通行的な世界観。自分が今の自分のまま別の世界に行くという考え方。この意味では、「来世」の類義語として、あの世(あのよ)、死後の世界(しごのせかい)が挙げられる。死後世界【天国と地獄】様々な宗教で「天国」と「地獄」(あるいは極楽と地獄)があるとする考え方も多い。 この場合、天国は生前に良い行いをして過ごした人が行き、地獄は生前に悪い事をしてきた人が行くとされることが多い。キリスト教においては、ヨーロッパの中世期ころなどに(元々のイエスの教えの意図から離れてしまい) 洗礼の有無等によって死後に魂の行く世界が異なる、などと強調されたことがあったが、現代のカトリック教会では過去の反省も踏まえそのようなことに力点を置いた説明は控えられている。古代日本における死後の世界おいて死後に行く世界は黄泉(よみ)と呼ばれていた。発想の原点がそもそも現世利益重視や小我重視の視点であるため、あの世は「けがれ」の場としてとらえられる傾向があった。

死後世界は三途の川の向こう側

日本での死後世界「天国・地獄」という図式を前提とした上で、"地獄には閻魔がいて生前の罪を裁く"とする考え方も民衆の間にはある。これは、インドで生まれ、中国の民衆によって脚色され、後に日本の民衆にも広まった考え方であるが、あくまで通俗的なものであり、真面目な仏教の概念ではない。日本において支配的な宗教である神道及び仏教には本来「天国」という用語は無い。しかしながら日本人が故人について語る時、「天国の誰々」と呼ぶことはあっても「極楽の誰々」「黄泉の誰々」とは滅多に言わない。死後世界来世への「旅」。人の肉体が生死の境をさまよっているときに、魂(意識)は川岸にたどり着き(三途の川)、それを渡ることで魂は次の世界に行く、という話は、広く知られている。臨死体験をした者にこのような報告をする者も多いらしい。が、自ら転生をしていると認める者でも、その川は便宜的に視覚化されたある種の心象風景ともいうべきものであって、この世とあの世の間に川があるわけではない、と説明する者もおり、もとより物理的に検証できる性質のものでもなく、真偽のほどは定かではない。

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